優しい悲劇
机のスタンドだけ点けた部屋の中で、カタカタとパソコンのキーを打つ音が部屋に響く。

深夜、と呼ばれる時間──。
家族はすでに就寝しており、近所の家の明かりもない。
まるで、この世界で自分ひとりだけが息をしているかのように、錯覚するほどの静寂。


『必ず見つけてくれると信じているよ』


打ち終えた文章を保存して、パソコンの電源を切る。
時間は0時5分。
時計を確認して彼はふっと口元を笑みのかたちにした。

処理すべきことは施した。
忠実な戦闘機は、近い未来に自分以外のモノになる。
そのこともすでに伝えてある。
彼が自分の言葉に背くという心配や不安は、一切ない。
伝えたとおりに行動し、実行するだろう。

もうすぐ、肉体が消え、魂だけになる。

それは予想でも予測でもなく、『決定事項』だ。
これから確実に起こるであろう『事実』。
予定調和の『現実』。
そこから外れることも逃れることも、不可能なシナリオだ。

心配や不安はない。
悔いや未練もない。

そう考えて、違うなとひとつだけ否定することがある。

ただひとつだけ。
未練というものに属する感情…。

──壁を隔てた隣で、今は眠っている人物のこと。

静かにドアを開くと、足音もたてずにベッドに近づく。
6つ年下の、まだ11才の彼はベッドでぴくりとも動かず、熟睡している。
その寝顔を起こさぬように眺める。
起きる気配はない。
よく眠っている立夏に、キスする。

軽く、唇を触れるだけの。

目を覚ましたら、どんな反応をするのだろうと思う。
このまま、眠っていて欲しい。
だけど、目を覚まして欲しい。


同じ父母の血を受け継いだ、たった一人の弟。

実の弟をこの世の誰よりも、愛しく思う。


母に殴られた頬に貼られたカットバンの上から、慈しむように触れる。
それは夕方、自分が貼ってやったものだ。

もう一度、さっきよりもゆっくりと口づける。
唇を離してもう一度キスする。
それから、今度は舐めるように。

ぴくぴく、とかたちのいい耳が動く。
「…ん…?……清明…?」
眠そうな顔で立夏は目を覚ます。
「びっくりした。なに?」
電気もつけていない暗い部屋の中で、ベッドの端に座る兄に立夏はぱちぱちと瞬きする。
清明は薄暗い部屋の中で、ただ微笑むだけで何も答えない。
起き上がってベッドの上に座る立夏の頭を清明は撫でる。
それはいつも兄が与えてくれる優しさだ。
だけど、時間が深夜ということもあり、立夏は眉を寄せる。
「……?なんかあったのか?」

問われても答えようがない。
遠くない将来に対しての恐怖はない。
現実になった時に後悔もないだろう。
だが、ほんの少しだけ、この感情を心配や不安、未練という呼ぶのなら、感傷的になっているのかも知れない。

Next≫
≪カップリングmenu
小説トップ
HOME
無料ホームページ掲示板